Zirororororo

見たけりゃ見てください。

思考の不法投棄

電車に乗っているとき、バスを待っているとき、君たちがどのように時間を過ごしているかはおおよそ予想がつく。中高とスマートフォンの持ち込みを禁止されていた私は、代わりに単語帳を読み込むこともなく、ただただ思考に耽るという習慣が身に付いていた。

公共機関に乗りながらだと、何故だか思考がまとまりやすい。車輪の騒音、揺れる車内、流れる風景…全てが私の存在に関わろうとしてくるが、適度に私のことを放っておいてくれたりもする。そんなちょうどいい刺激が脳を活性化させているのではないかというのが私の持論だ。しかし、そこで湧いて溢れる考えや感情の殆どが、形とならず泡となって消えて行った。私の考えを全て文字にしておけば、世間を動かす発明や素晴らしい歌のひとつでもあったかもしれない() けれど、私の潔癖と怠慢の業によるものなのか、私は未完成な思考を文字にすることを嫌った。オイラーが美しい数式ばかりを追い求めていた姿と重なるところがあるかも知れない(そんなことはない)ただ、勘のいい君たちならわかる通り、完成された文章は、いきなりポンッと頭の中から出てくるものではない。未完成のものを何度も何度も推敲してリライトしてはじめて生み出されるものである。ゴミ捨て場を見つけられないからと家にゴミを溜め込むぐらいなら、不法投棄をした方がマシというのは、私が一週間ゴミを家に放置した結果行き着いた結論である。私は発表会が訪れる日をずっと待っていた。しかしそんなものありはしないし、仮にあったとして、私がそういった場面で行儀良く発表をする人間でないことはさらなりである。不法投棄をすることは、恥だ。不法だから。人間社会に於いて間違った行為なのだから。しかし時に法というものは自らを雁字搦めにするものでもある。私は私自身の法によって身が滅んでしまうぐらいなのなら、その法を破ってでもそこに"置いておく"方が良いと思う。(しかしこの私の考えもまた水物である)

兎に角、思考を形にしていくということ、自分が生産者となること、それが今の私の至上命題であるように考えてまず間違い無いだろう。(証明はここでは省略させていただく)ただこれだけのことをここまでダラダラとよく書いたものだと我ながら誇らしくもなるが、取り急ぎ推敲もせずただ電車で浮かんだ言葉を文字にしてみた。読みづらいだろうし、読んでほしくもないが読んでくれたら喜ぶ。それもまた私らしい。